井原鉄道株式会社
代表取締役社長 槙尾俊之
1.開業25周年を迎えて
(1)これまでの歩み
井原鉄道が運営する井原線は、岡山県南西部のJR伯備線総社駅を起点とし、約3km伯備線を南下した後分岐して旧山陽道に沿って西に向かい、広島県福山市の北東部、JR福塩線神辺駅を終点とする全長約42kmの路線です。井原線は、今から約70年前、岡山市と総社市を結ぶ当時の国鉄吉備線(現JR桃太郎線)を福山市まで延伸すべく地元自治体が建設促進運動を始め、昭和41年に国鉄新線としての工事が始まりましたが、その後の国鉄改革に伴う建設凍結を経て昭和61年に弊社が設立され、翌年工事を再開、平成11年1月に開業に至りました。
開業当初は自社ですべての経費を賄っていましたが、5年足らずで行き詰まり、平成15年度から線路、電路、車両のいわゆる「下部分」の維持に要する経費を岡山、広島両県をはじめとする関係自治体の補助金で賭う方式に改められ、現在に至ります。
2)西日本豪雨、コロナ禍を乗り越えて
井原線は、毎年110万人前後の輸送実績を長く維持してきましたが、平成30年7月の西日本豪雨により大きな被害に見舞われました。井原線と並行する一級河川小田川が氾濫し、倉敷市真備町地区が広範囲に浸水。線路自体は高架であったため難を逃れたものの地上の電気設備等が水没し、全線での運航再開まで2か月弱を要しました。また被災地区の多くの方々が避難生活を余儀なくされたこともあり、この年度の輸送人員は約95万5千人と開業以来最低を記録しました。
翌令和元年度は、災害からの復旧、復興が進む中、井原線の輸送人員も110万6千人とV字回復を果たしますが、同年度末からのコロナ禍により、令和2年度は84万6千人と最低を更新しました。その後緩やかな回復基調の中、本年1月に無事開業25周年を迎えることができました。また、輸送人員も令和5年度は、97万1千人まで回復しました。
開業25周年記念入場券セット
2.井原鉄道の現状
(1)沿線地域の現状
井原線沿線地域でも他の多くの地域と同様、人口減少が大きな課題となっていますが、このエリアの特徴は、両端の町(岡山県総社市、広島県福山市神辺町地区)では人口が増加傾向にあり、沿線の中央部ほど人口減少率が大きいということ、そして総人口よりも生産年齢人口、さらにそのうち15歳〜19歳の層になるほど減少率は大きくなるということで、その影響から沿線内の高等学校生徒数も年々減少しています。井原鉄道をご利用になるお客さまの3分の1強は通学定期を利用される方ですが、沿線内の十代後半の人口減と高等学校生徒数の減は、通学定期ご利用者の数に直接響くものであり、関係市町と連携した取組を模索しているところです。
(2)経営状況
井原鉄道は、冒頭で触れたようにいわゆる「みなし上下分離方式」を平成15年度に導入しましたが、運輪収入で賄う「上部分収支」は導入後もしばらくは赤字が続き、平成26年度以降黒字に転換しました。しかし、平成30年の豪雨災害により赤字に転落、翌年度黒字となりますが、コロナ禍により再度赤字となりました。令和4年度には、コロナ禍からの回復基調に加えて国のコロナ交付金を活用した自治体からの多額の運行支援金もあって黒字となりましたが、令和5年度の運輪収入はさらに改善するも、運行支援金の大幅な減少もあり、再び赤字決算となりました。
井原鉄道の輸送人員の内訳は、定期外、通勤定期、通学定期がほぼ3分の1ずつでありますが、今後、通勤・通学定期のお客さまの増を期待することは難しく、いかに定期外のご利用を増やしていくか、特に沿線外からのお客さまのご利用を増やしていくかが最大の課題となっています。
3.地域に愛される鉄道を目指して
(1)駅名ネーミングライツの取組
三セク鉄道という性格上、どうしても沿線自治体とのお付き合いが中心になりがちですが、開業25周年を迎え、改めて地域との結びつきを考える中で、沿線の企業、事業者の方々と鉄道を通じたお付き合いができないか、それが地域の話題作りにもつながらないかと考え、令和5年度から井原線全15駅に愛称(副駅名)を付ける「駅名ネーミングライツ」事業をスタートしました。ただ、ネーミングライツと言えばもっぱらスタジアムなど大規模な施設を対象に行うのが一般的で、同業他社に先行事例はあったものの「誰も相手にしてくれないのでは」との不安を抱えてのスタートでした。
しかし、その心配も杞憂に終わり、初年度は6駅で契約が成立しました。ネーミングライツの特典も、最初は駅名標に副駅名を表示する以外に、特にスポンサー様に効果を実感していただけるようなものはなかったのですが、今年度から各駅の停車時にスポンサー様のPRの車内アナウンスを流せるようになり、さらに魅力を増した事業として拡大すべく取り組んでまいります。
清音駅での除幕式(令和5年7月1日)
(2)地元の大学生、高校生とのコラボレーション
地域との結びつきを考える上で、次代を担う地域の若者との連携も欠かせません。井原線各駅の駅名標は、開業以来塗り直されることもなく傷みも進んでいたことから、25周年を機に岡山県のご支援をいただいてデザインを一新することとし、新たなデザインを総社市にある岡山県立大学デザイン学部の皆さんに作っていただき、昨年3月にお披露目しました。
また、駅ホームの柱に取り付けられた縦書きの駅名標も開業時のままであったため、こちらは岡山県立井原高校の美術部の生徒さんに各駅の周辺観光地やゆかりの人物等を模したデザインを作っていただき、それを駅名の上部に加えた新たな駅名標にリニューアルし、昨年8月にお披露目しました。
総社駅での新駅名標除幕式(令和5年3月27日)
井原駅でのホーム柱駅名標除幕式(令和5年8月23日)
4.新たな顧客の開拓
(1)地酒の魅力発信
井原線が走る岡山県の備中エリアは古くから酒造りの盛んな土地柄で、多くの酒蔵があります。井原鉄道では、酒類小売業の免許を取って井原駅の窓口で地酒の小瓶(300ml前後)を販売しています。また、広島県福山市の地ビール業者のご協力の下オリジナルクラフトビールも開発。最近では、地元の菓子製造業者と連携して酒のつまみに最適な「枕木かりんとう」の販売も始めました。地酒は3本飲み比べセットのオリジナルパッケージもあり、ご好評いただいています。
さらには、地元酒蔵のご協力による貸し切りの「ほろ酔い列車」、沿線自治体との連携による備中の地酒や福山のワインを楽しむツアーなど、高架を走る車窓からの田園風景を肴に味わう地元の銘酒と井原鉄道の魅力を発しています。
地酒、オリジナルビール、かりんとう
(2)新キャラクター登場
井原鉄道には、もともと井原の漢字を模した「いっちゃん」「はっちゃん」というマスコットキャラクターがいましたが、開業25周年を機に新しいキャラクターを登場させられないか社内で検討していたところ、以前から応援してくださっているイラストレーターの方が自らのデザインを弊社に無償で提供してくださることとなり、井原鉄道の新人駅係員「井原あかね」として昨年7月にデビューさせ、SNSでの発言やオリジナルグッズの販売など第一線で活躍してもらっています。前述のオリジナルピールもそのうち一本は「井原あかねビール」と名付け、フルーティーな香りとスパイスのような余韻を感じさせる味わいで好評を博しています。
新人駅係員 井原あかね
5.次の25周年に向けて
井原鉄道の25年の歩みは決して平たんなものではありませんでしたが、今後の道のりはより厳しいものになると思っています。それは、財務諸表に現れる厳しさだけでなく、人材確保の厳しさが加わるという意味でこれまでより深刻です。現に私は2年前の社長就任時からずっと施設や車両の整備を担う技術系社員を募集していますが、まだ一人も採用に至っていません。同時に募集していた運転士は、幸いにして20代と30代の2名が昨年10月に入社し、今年6月には運転免許試験にも無事に合格し、7月から運転士として独り立ちしました。
今後、開業時に採用した社員が順次定年を迎えることとなる中で、もちろん社員の希望に応じて引き続き嘱託社員としての活躍も期待するところですが、夜間勤務など体力的に厳しい業務があるのも事実です。いかに次代を担ってくれる人材を計画的に確保し、技術を継承していけるかが、井原鉄道の将来にとって最も重要な鍵になることは間違いありません。
6.結びにかえて
昨今のローカル鉄道のあり方を巡る議論などを見るにつけ、日本人にとって鉄道は、他の交通機関では担えない夢や郷愁を抱かせるものなのかという思いを強くしています。もちろん夢を運んだだけで経営が成り立つわけはなく、そこにはビジネスとしてのある程度冷徹な判断も事業継続のためには必要な条件でしょう。同時に、沿線地域に明るい話題や夢を届ける存在であり続けることもまた、鉄道事業を継続させるためには必要な条件ではないでしょうか。
「言うは易く、行うは難し」ではありますが、これからも第三セクター鉄道等協議会会員各社の皆さんと課題や情報、ノウハウの共有を図りながら暗中模索を続けてまいります。
高梁川橋梁を走るアート列車