1.待ちに待った希望の懸け橋
2016年4月の熊本地震から早くも7年が経ち、今年3月ですべての災害復旧工事を終え、南阿蘇鉄道(愛称:南鉄)の全線運転再開日を2023年7月15日と決めるところまで来ました。現在、全線運転再開に向け、社員一丸となって訓練運転や営業準備に励んでおります。第三セクター鉄道等協議会各社の皆さまには、これまで長きに渡りご声援、ご支援、ご指導を賜りました
こと心より深く御礼申し上げます。
さて、災害復旧なかで最も難関工事となったのが、一級河川白川に架かる「第一白川橋りょう」(全長166m・高さ60m)です。昭和2年に架けられたこの橋りょうは、鉄道省最初期に建設された鋼製アーチ橋であり、今回の復旧工事で撤去された犀角山トンネルと戸下トンネル間の急峻な地形に架けられ、沿線住民には欠かせない鉄橋であり、観光トロッコ列車「ゆうすげ号」の車窓からの眺めに観光客誰もが絶句する南鉄一番の観光スポットでもありました。
復旧工事は犀角山トンネル(長さ125m)の撤去から始まり全ての鉄道施設の復旧まで約5年の歳月を要しました。第一白川橋りょうが架かるとほぼ全線繋がったこととなります。現在バスとJRを乗り継ぎ2時間以上かかる通学時間がかなり軽減され、高校・大学等へ進学の選択肢も増え、塾や部活動も通う事が出来るようになります。また、通院や買い物の利便性が格段に向上し、何より自分で自由に移動できることの喜びは「何事にも代えがたい」と言って良いと思います。まさに希望の鉄道橋なのです。
その待ちに待った希望の橋りょうが、2022年10月に白川の上空に架かりました。「つなげよう!つながろう!!」を合言葉に臨んできた世紀の橋が復活した瞬間です。鉄橋を渡る列車を想像すれば感慨も一入です。そして2月9日ついに全線がつながり、レール締結式を開催し、第一白川橋りょうの上を点検車両が渡りました。
少し災害復旧補助事業に触れますと今回の災害復旧補助金は、特定大規模災害等鉄道施設災害復旧事業費補助金(以下、「特定災害復旧補助金」)を活用させて頂きましたが、鉄道の災害復旧は、鉄道会社が業者選定から発注、竣工検査まで行わなければなりません。そのあと補助金審査です。流れは通年の「地域公共交通確保維持改善事業費補助金」などと大きくは変わりません。しかし、橋りょうの架けかえ工事となると多数年に亘る大工事です。推測ですが大手鉄道会社を除き、建設部門を抱えている会社はないと思います。枕木交換など保守管理と比べると持っている知識も費用も全く違います。まさに手探り状態からのスタートでした。津留専務を筆頭に、正直よくここまで出来たなと言う思いでいっぱいです。工事書類も想像を絶します。地質調査から始まり下部工、上部工の設計、施工、資材の調達、指導業務など細かい作業まで入れるとおそらく数千人の方々の技術を結集した賜物です。橋りょうだけでなく、ここまで災害復旧工事に携わり、工期短縮に向け汗をかいて下さった皆さまには唯々感謝の一言です。
2. 創造的復興に向けて
当時、災害復旧費用約65〜75億と言われた事業費は、莫大な復旧費用であります。通常の災害復旧費補助率は国1/4、地元1/4、鉄道会社1/2となります。と、した場合、地元自治体出資率99.9%の我が社は、地元に億円程の負担となります。地元も激しく被災するなか、とても捻出できる額ではありません。大きい声では言えませんが、正直申しまして震災直後「廃線」の二文字が常に頭にありました。皆、口には出しませんでしたがこの思いは一緒に思えました。
その後、特定大規模災害に対する新たなスキームが作られ、鉄道局をはじめ関係各所の手厚いご指導のもと復旧を成し遂げる事が出来ました。特定災害復旧補助金の要件のひとつに復旧後、長期的な運行が確保されることを示さなければならず、高森町、南阿蘇村、熊本県と南鉄で「長期的な運行の確保に関する計画」を作成し、計画に事業構造の変更と鉄道事業者が復旧した鉄道施設を公的主体が保有するいわゆる上下分離方式の採用が織り込まれました。今思えばここからが全線復旧と創造的復興のはじまりとなりました。僅かな希望の光から南鉄が復旧し、創造的復興に向けて進むとは、誰も想像できなかったでしょう。私自身、本当に驚きです。このようなことから三セクだよりが発刊される4月には南阿蘇鉄道は第二種鉄道事業者として再出発しています。そのほか全線運転再開後の創造的復興へ向け地元自治体と南鉄との取り組みを簡単に紹介させて頂きます。
①MT4000形への車両更新
30年ぶりの車両更新、開業当初に新造したMT2000形3両と車齢30年となるMT3001号車を合わせ計4両の車両更新を進めています。既存の車両を延命することも検討しましたが、将来的にコスト高になると判断し、令和4年度に2両、今年度2両を更新する計画です。4両揃うと2両ワンマン運転が可能になります。バリアフリーや多言語化を充実し、窓も大きく目の前に見る阿蘇の景色は最高です。ちなみに我が社員の意見を集約し、若手社員が外装デザインしました。
②高森駅、立野駅の建替え両端主要駅の周辺整備
〈高森駅周辺整備〉
高森町は2018年くまもとアートポリスプロジェクトにより高森駅を「定住」「観光」「防災」による地域・まちづくりの最重要拠点と位置付け高森駅および駅周辺を再開発中です。高森駅は南鉄唯一の有人駅で3月に完成し、準備が整い次第、新高森駅での営業に移行します。コンセプトは「とにかく広いプラットホーム」「夕日と列車がみえるまち」です。
〈立野駅周辺整備〉
立野駅はJR九州豊肥線との接続駅でもあり、南阿蘇村が震災前から南阿蘇の玄関口として鉄道とバスなどの利便性向上と地元の防災の観点からコミュニティ施設を兼ね備えた周辺整備計画があり、創造的復興のひとつとして令和3年から整備され今年5月中旬には供用できるようになります。全駅初のエレベータが設置されます。南鉄の主要駅2駅が建替えとなり、新しい駅舎でお客様を迎えます。
③JR九州豊肥線肥後大津駅乗入れ計画
創造的復興の一番の肝が南鉄からJR肥後大津駅まで直通乗入れ計画です。20年ほど前から地元町村がJR九州へ電化などの接続強化、利便性向上として要望していたのですが実りませんでした。しかし創造的復興の核として令和2年、南阿蘇鉄道再生協議会からJR九州へ直通運転の要望書が提出され、晴れて今年1月に直通運転の調印式を執り行うことが出来ました。鉄道会社の課題は山積みですが、この立野駅からJR九州豊肥線肥後大津駅まで2駅直通乗り入れると通勤・通学の利便性が格段に向上します。
3. 若手社員とのぞむ
震災前まで駅営業と運転士は、全てJR九州からの出向者とOBの方々でした。今でも2名は全線再開に向け一緒に頑張って頂いており、心強く、 有難い限りです。全線再開を決めた翌年から、運転士の採用計画を立ててきたのですが、なかなか計画通りには運ばず苦慮しているところです。そのようななか、今年まで7名の若手運転士が育ってくれました。社内は一気に若返り、8割の運転士が全線営業の経験がありません。全線再開の7月15日を楽しみに、日々運転訓練に励み準備を進めているところです。また、昨年、若手社員主体で復旧現場を歩く、レールウォークを企画催行しました。今しか体験できない立野橋梁と第一白川橋梁上を歩くこともあり、報道等にも取り上げられたことで、橋など構造物を研究している方や復旧状況を直接確かめたい方々でツアーは大盛況でした。企画からアテンドまで協力して、やり遂げた彼らの目が輝いていたのがとても印象的でした。他方でも車内観光案内や物販やグッズ製作など一人ひとり、今できることを考え取組む若手社員の姿に将来性を感じ、復活した新しい南鉄を彼らと一緒にスタートし、地域になくてはならない、そして愛される鉄道を目指したいと考えています。
南阿蘇鉄道株式会社 https://3sec-tetsudou.jp/company/71