【三セク協だより第62号掲載】130年の思いを乗せて

智頭急行株式会社

代表取締役社長 西尾 浩一

1 はじめに

 第三セクター鉄道等協議会連盟の各社におかれましては、開業に至るまでに紆余曲折、多くのご苦労があったものと思います。弊社も建設決定・中止・中断を繰り返し開業にこぎつけました。建設運動の始まりから開業まではおよそ100年の時が必要でした。このたびは弊社の開業までの歴史と、開業後の30年をご紹介するとともに、新たに始めた事業についてもお話をさせていただきます。

 

2 開業までの道のり

 明治時代の中頃、日本各地で鉄道の敷設運動は盛んでした。山陽・山陰地域での関心事項の一つは、陰陽連絡線をどのルートで建設するかということで、地域ごとの思惑も絡んで政治問題化していたようです。明治27(1894)年陰陽連絡線は、境港〜鳥取〜姫路のルートで建設することが決定しました。現在の智頭線の区間である智頭〜上郡も組み込まれており、智頭線沿線住民の皆さんは建設決定を大喜びされたものと推察します。

 

(1)

陰陽連絡線の工事は明治33(1900)年10月に始まり、明治35(1902)年11月には境港〜御来屋間が開通し、順調に進んでおりました。ところが明治36(1903)年6月陰陽連絡線のルートが鳥取〜姫路から鳥取〜和田山と変更されてしまったのです。工期の長短、工事の難易度などの比較検討の結果の決定とのことであったようですが、ルートから外れた智頭線沿線住民の落胆は想像に余りあるものでした。これが一度目の挫折です。

 

(2)

山陰地方から他地域を結ぶ鉄道の建設は順調に進み、明治45(1912)年には京都〜出雲今市の山陰本線全線が開通し、鳥取〜津山の因美線も昭和7(1932)年7月に開通しました。いわば置いてけぼりとなってしまった智頭線の建設を目指して、昭和9(1934)年には兵庫、岡山、鳥取3県の関係18市町村が「智頭・佐用線鉄道期成会」を結成し、建設活動を実施しました。その運動の甲斐があって、昭和12(1937)年4月智頭〜佐用線が建設予定線となりました。ところが、第2次世界大戦の勃発でうやむやになってしまいました。これが2度目の挫折です。

 

(3)

大戦が終了し、昭和25(1950)年には智頭・上郡線鉄道敷設期成同盟会と期成会を改組し、建設運動を続けました。ようやく昭和37(1962)年3月鉄道建設審議会において、智頭〜上郡を智頭線として工事線に採択され、昭和41(1966)年6月には鉄建公団による工事が開始しました。ところが、昭和55(1980)年国鉄合理化のあおりを受け、工事が中断してしまったのです。これが、3度目の挫折です。

 

 この状態を打開すべく鳥取県、岡山県、兵庫県と関係12市町村が主体となり、民間や関係団体の協力のもと、第三セクター方式による智頭鉄道株式会社を昭和61(1986)年に設立し、翌昭和62(1987)年2月に工事が再開されました。平成4(1992)年には高速化工事にも着手し、平成6(1994)年12月にようやく開業の運びとなりました。3度の挫折を乗り越えての開業ということで、地元のニュース映像を見ると開業セレモニーが行われた鳥取駅、智頭駅にはホームに溢れんばかりの人、人、人が喜びを爆発させている状況がうかがえます。

 開業に至るまでの関係者のご苦労、それを乗り越えた地元の喜びを胸に刻んで、鉄道会社は経営していかねばならないと考えます。私は一昨年6月に社長に就任しましたが、その際弊社の使命は、①お客様を安全に目的地にご案内すること。②地域の足として愛される会社であり続けること。であり、この使命を共有し、使命を達成するために日々努力することを社員に求めております。これは、現在に至るまでの地元の皆さんの思いをも背負ってという意味合いで、今も機会あるごとに社員に伝えております。

 

3 開業後の歩み

 さて、開業からの状況を振り返ってみます。開業時は特急車両13両、普通車両10両を保有してスタートしました。

 特急列車には、新大阪〜鳥取・倉吉「スーパーはくと」3往復と、新大阪〜倉吉「はくと」1往復(JR西日本車両)、普通列車は上郡〜大原17往復、大原〜智頭12往復、智頭〜鳥取(JR因美線)3往復乗り入れという状況でした。

 JR西日本が特急列車の智頭線乗り入れを決断していただいたことが、弊社の収入安定に大きく寄与しました。「スーパーはくと」については、京都までの延伸をしていただくとともに往復数も徐々に増え、現在では8往復となっております。平成9(1997)年11月からは、鳥取〜岡山の「スーパーいなば」の乗り入れも始まりました。これらが相まって平成10(1998)年には黒字転換し、以後コロナ禍の3年を除いて黒字を続けることができました。

 とは言え、全てが順風満帆という訳にはなりませんでした。開業1ヶ月あまりで阪神淡路大震災が発生し、一部運休を余儀なくされましたし、平成21(2009)年には豪雨災害による運休もそれぞれ19日間、8日間経験しました。

 また、道路整備の進捗は非常に喜ばしいことではありますが、無料の鳥取自動車道の開通により、特急列車のご利用者が自家用車利用、高速バス利用にある程度シフトしたことは否めません。

 

4 昨年は開業30周年

 社員がプロジェクトチームを立ち上げ、様々な事業が企画立案されました。私は個々の事業の企画立案には全く関わっておりません。勿論全ての事業の最終的なゴーサインは代表者として出しましたが、1つ2つ軌道修正をした他は、社員の提案を全て受け入れました。社員が会社の社名である愛される会社であり続けるために、自主的・積極的に取り組んでくれたものだからです。社員の積極性・自主性が強く発揮されたもので、私としては嬉しい限りです。

 それでは、その事業の中で、ご好評をいただき、本年度も継続実施することとなった事業をご紹介しましょう。

 

(1)プレミアムハザ

 弊社の特急列車スーパーはくとは全面展望の先頭車両が人気で、毎日のようにお客さまからどの列車が全面展望車両であるかのお問い合わせをいただきます。その展望車両の運転室内にある助士席にご案内いただき、智頭〜上郡間を往復していただくのがプレミアムハザです。乗車券・特急拳の料金以外に、3万円をいただく強気の価格設定をさせていただきましたが、大変ご好評をいただいております。昨年は募集開始1時間余りで全てが埋まるご予約をいただき、驚きました。今年はさすがにそこまでの勢いはなく、空きがある状況です。そこで、片道コースを1万7千円で設定するなどテコ入れを図っているところです。

 

(2)HOT3500系運転体験

 普通列車に使用しているHOT3500系の列車を講習を受けたうえで、大原の車両基地内を200メートルほど運転していただくものです。15,000円というけして安くはない価格設定ではありましたが、今年度も午前5人、午後3人の枠が20分ほどで埋まりました。

 

(3)ネーミングライツ

 智頭線の14の駅に年間10万円から50万円で「副駅名」を付けていただく方を募集したところ、これまで4駅で契約を締結できました。通常世間一般で実施されているネーミングライツは、数千万人の集客が見込まれる施設で行われることが多いと思います。残念ながら弊社の駅は、1日の平均乗降客数が一桁という駅もありますので、広告効果に期待してというよりは、弊社智頭急行や駅周辺の自治体を応援するという気持ちでご応募いただいたものと理解しております。ご応募いただいた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

 こうしてみるとそれぞれの取り組みは、弊社オリジナルであるものというより、他団体で実施されたものを弊社の特性に合わせてアレンジしたものということがお分かりいただけると思います。私は収益事業として組み立ててくれた社員に、感謝をしております。これからより大きな収益を上げるように、育成することを期待しております。

 

5 今後の課題

 多額の経費を要する案件として、2件上げさせていただきます。

 

(1)IC化

 弊社の周辺のIC化が進展しており、お客様や周辺自治体からの導入のご要望をいただいているところです。今となっては、あって当たり前のものというのが世の中の認識だと思いますので、JR西日本の因美線鳥取〜智頭間の導入に足並みをそろえて弊社管内も導入すべく準備を進めないといけないと考えております。ただ導入の初期投資として弊社の単年度利益が吹き飛ぶほどの金額が必要との試算もあり、頭が痛いところです。

 

(2)車両更新

 開業から使用している「スーパーはくと」の更新は、喫緊の課題です。共同運行しているJR西日本と鋭意協議を進めてまいりたいと考えます。現在34両を所有しておりますが、同業他社の導入実績が高額化している状況との話を聞いており、これも頭を悩ませております。特急列車の後には、普通列車の更新も控えております。

 

6 終わりに

 多くの課題を抱えておりますが、弊社の使命を全社員と共有し、その使命達成に向け、全社一丸となって取り組むことを改めてお約束いたします。多くの皆様にご利用賜れば幸いです。