【三セク協だより第59号掲載】湯前線開業100周年と、今後のくま川鉄道全線開通に向けて

くま川鉄道株式会社
企画営業課長 下 林   孝

【はじめに】

 私が、くま川鉄道に入社したのは、平成元年7月3日、今から34年前になります、今では会社の一番の古株ということになります。
 当時私がくま川鉄道に入社したのは、開業する直前の7月、あと3ヶ月で開業といったタイミングでしたので、開業に向けての準備が大詰めの段階でした。今考えると凄く大変な時期に入社したのだと思います。

【くま川鉄道 開業】

 10月1日の開業日の前日に、車両の運賃箱につり銭を慌てて準備したのを覚えていますが、初運行の当日は新入社員の私に何ができるでもなく、本社でのお留守番という、とても重要な役割を頂きました。今の、私が上司であっても、そのような役割を任せたでしょう(笑)
 当時の写真などを見てみると、人吉駅(現在の人吉温泉駅)のホームから出発式を行い、ホームにて式典やくす玉割りなどが行われ、当時の社長(人吉市長)が先頭になり、地元高校生の吹奏楽の演奏を奏でながら開業を祝う、数百人の関係者の方々によるパレードが行われました。今考えるとパレードで祝うような事業は、そうあるものではありません。それくらい、くま川鉄道の開業は地域をあげて大きな事業であったのだと思います。

【くま川鉄道の歴史】

 くま川鉄道は、平成元年10月に開業するまでは九州旅客鉄道湯前線、その前は国鉄湯前線として運行しており、通算すると今年2024年、令和6年3月30日に100周年という記念すべき日を迎え、とても歴史のある鉄道です。
 湯前線についてお話しいたしますと、1924年、大正13年3月30日に日本国有鉄道(国鉄)湯前線として63年間運行した歴史がありましたが、第三次特定地方交通線として一旦は廃線がきまり、昭和62年の国鉄分割民営化のタイミングで、2年間の短い期間でしたが、九州旅客鉄道にて運行され、その際に地域では本当に廃線か存続かの議論が行われました。まだまだ地域の足として必要であるという理由から、第三セクター方式のくま川鉄道として存続することが決定しました。
 湯前線開業100周年事業を進めるにあたり、当時の事を調べていくと、知らなかった事をいろいろと知ることができました。この鉄道は近隣の山々から切り出された木材を運搬する目的のために開業した鉄道で、その前は球磨川の急流を利用して木材を運搬していた時代もあったようですが、安全面や確実な運搬を考えたうえ、また、効率をあげるために鉄道による木材輸送が始められたようです。
 時代が昭和になり、木材を運搬するだけでなく郵便などの貨物輸送なども行われ、外国産の木材の輸入が増え、国産木材を輸送する量が減り貨物輸送が減少傾向になるにつれ、旅客輸送が増え始め、徐々に貨物輸送から旅客輸送に推移していったようです。
 開業当時は全て機関車で輸送していたようですが、途中からディーゼル気動車も導入され、湯前線で機関車が運行していたのは昭和50年代頃までで、現在のSL人吉、機関車の58654型が湯前線で最後まで走っていた機関車ということになります。
 私が生まれた実家が、湯前線の線路のそばということもあり、幼い頃線路沿いを歩きながら落ちている石炭を拾い集めた記憶があります。地域の住民の方から貸して頂いた当時の資料にも、機関車が田園の中を走行する写真や、機関車に連結された車両で木材を運んでいる写真、なかには線路内に入って機関車を撮影している写真などもありました。今では考えられない景色で、今はもちろんNGです。
 なかには、機関車が煙を吐いて走行するカラー動画などをお持ちの方もいました。
 そのような資料を見ていると、この人吉球磨には昔から湯前線が深く関わっていて、公共交通の手段というだけではなく、山や川などの自然と同じ景観の一部として、ここで暮らすみなさんの心の中に溶け込んでいるのではないかと思えてきます。

【豪雨災害による甚大な被害】

 ご存じの通り、くま川鉄道は令和2年7月に発生した豪雨災害により被災しました。車両5両がすべて浸水、川村駅付近線路の道床が流失、一番大きな被害を受けたのが、湯前線開業当時から約96年利用されてきた球磨川第4橋梁の流失です。
 この甚大な被害を受け、全線において運休を余儀なくされました。当時くま川鉄道の沿線には県立高校が4校あり、通学で利用する生徒が約850人と多く、朝の車内は都会並みの満員電車状態でした。沿線高校に通学する生徒の足を守るためには、どのような手段があるかということが議論され、速達性・定時制・大量輸送などの利便性や、経済性を議論した結果、まだ鉄道が必要であり、復旧して残さなければならないという結論に達しました。
 そのため、全線を代替バス輸送によりお客さまを輸送しておりましたが、約1年5ヶ月後の令和3年11月28日に部分的な運行が再開し、現在列車の部分的な運行とバスによる代替輸送でお客さまを輸送しており、令和7年度(2025年)の全線開通に向け一丸となって頑張っております。

【これからのくま川鉄道】

 初めにも申し上げましたとおり、令和6年3月30日には湯前線が開業して100周年を迎えますが、このような大変な時期に100周年を祝う時期では無いのではという考え方もあるかと思いますが、全線開通を目標に復旧工事を進めるくま川鉄道としては、このような時だからこそ今一度、湯前線が100年という長きにわたりこの地に存続してきたのかを改めて注目していただき、令和7年度に全線開通した後も、この鉄道を活用しながら存続できるよう盛り上げることができればと思っています。
 おかげさまで、くま川鉄道を存続させるために国、沿線自治体のご支援の下、全国のくま川鉄道の存続を想い、支援して頂く多くの皆さまのご協力で全線開通に向けて復旧作業を進める事ができるようになり、一歩一歩、前進しております。利用者が少ないローカル鉄道の存続を目的とする鉄道再構築の協議も進んでおり、くま川鉄道を含め全国のローカル鉄道の未来は明るい方向へと向かっているのではないかと思います。

【結びに】

 まだ全線開通までは道半ばですが、地域公共交通の役割を果たすためには、財政的な部分以外にも、問題は多くあります。例えば現在の運行を行うための人材の確保や、地域公共交通の役割以外にも、経済活動の基盤である移動手段の確保することによる、少子高齢化や地球環境問題への対応などです。まちづくりと連動した地域経済の自立・活性化等の観点からその存続が求められるよう地域との連携を密接にし、今後も末永く運行することが出来ればと思います。
 最後に拙筆な文章をご拝読くださいまして、誠にありがとうございました。