いすみ鉄道は、千葉県いすみ市・大多喜町を走る地域の第三セクター鉄道で、1988年に開業しました。昨年35周年を迎え、一つの分岐点を迎えようとしています。私が代表に就任した当初は、存続は誰のためで、この地域にとってどう必要なのだろうか?と色々と考えておりました。しかし学生からの依頼事にはじまり、地域のお願い事から自治体を巻き込んだ大きな課題や行事まで、鉄道が関わることは、無限大の役割があると改めて感じております。現在は、この鉄道会社を何とか継続してこの地域と共に残るべき存在にしたいと胸に刻んでおります。
就任して何より第三セクター鉄道社長の立場は、非常にバランス力が必要だと感じています。
隣接する自治体の色が違ったり、駅前地域の管理が細かく区分されていたりと私のような通称よそものには初耳のローカルルールもあり、当初は戸惑うこともありましたが、最近ではある程度理解出来るようになりました。しかし365日鉄道サービスを無事故かつ定時運行で提供し、走りながら組織力を向上させることは、大変難しい事ですがやりがいも感じております。就任当初、私よりも若い社員は3名でしたが、現在では10名程度の若手社員が所属するようになりました。弊社は、JRからOB運転士が出向して運行を支えるスキームだったのですがJRから出向できる人員数も減少しており、大きな転換期にきていると感じてます。私もまだまだ出来ていない事は多いのですが、幹部会でホウレンソウをしっかりし、採算ベースを忘れることなく、新しいことに挑戦して参ります。現在では昨年引退したキハ28のレストラン列車に代わる企画をみんなで一生懸命考えております。
折角なので入社した若手三人の想いを言葉にしてもらいました。
松木 聖(運転士採用の新卒社員(19歳))
私は昨年、いすみ鉄道に新卒で入社し、運転士を目指して勤務しています。現在は運輸課に所属して、主に大多喜駅構内で車両の清掃や点検を行っています。また、運転士の試験を受験できる
20歳までの間、ワンマン列車の運転士になった際にお客様の対応ができるように、また、会社内での多くの部署の業務ができるように、運輸課の業務とは別に、大多喜駅窓口での出札業務や土休日の急行列車のアテンダント業務など、お客様のご案内や運賃の取扱い方も習得しています。
昨年、新卒で入社した時は、社内でも約26年ぶりの新卒採用で、同じ部署でも一番年齢が近い上司との差が約30歳離れており、正直1人で頑張っていくのかなという、心細い気持ちがありました。しかし、私の入社以降、運転士希望で入社した20代の先輩や、今年4月には、私に続き2年連続で、新卒の社員の入社、来年4月にも、新卒の採用内定が決まっています。会社内で同じ目標を持つ若い社員が増え、お互いに様々な場で得た情報を共有したり、時にはお互いの改善点を伝え合ったり、若手社員同士で切磋琢磨しあえる環境が作られてきていると感じています。来年には20歳になり、運転士の試験が受けられます。これからの業務では、運転士になるために必要な、車両技術やお客様との接客など、しっかりと計画・目標を立てて取り組んでいきたいです。
玉尾和也(地域おこし協力隊から運転士(27歳))
私は元々幼い頃から鉄道が好きで都内地下鉄の駅員として新卒で勤務しました。その後、小湊鐵道沿線の市原市地域おこし協力隊が仕掛けていたプロジェクトとの出会いにより、いすみ市地域おこし協力隊を志望し、2019年に着任しました。ミッションは「いすみ鉄道の活性化」させることであり、沿線のフォトスポットや撮影時のマナーを伝えるイベントの開催し、SNSでの情報発信は立ち上げ当初から携わり、その他いすみ鉄道のPRにつながる活動など多岐に渡って活動しました。昨年10月に任期満了し、11月にいすみ鉄道へ入社しました。ちょうど入社月にいすみ鉄道の看板車両であった「キハ28」が定期運行終了を迎え、最後の盛り上げに携わりました。その後すぐに運転士になるためにまず必要な国家試験「動力車操縦者運転免許」の対策にむけた訓練がスタートし、2023年3月に学科試験そして6月に実技試験にチャレンジし合格しました。運転士として無事にデビューした暁には、日々運転技術の向上に努めることはもちろんのこと、協力隊時代に培った営業目線を忘れず、沿線内外でファンを増やして乗車していただく機会を醸成するかを常に考えて行動できればと思っています。特に運転士の成り手が今後も不足することが予測されるため、沿線のこどもたちに少しでもいすみ鉄道に興味をもってもらうイベントや仕掛けづくりを運転士の立場を活かして取り組みたいと思います。
吉田貴文(地元採用の営業責任者(37歳))
私は生まれ育った場所から最寄り駅までは片道10 km、生活環境は1人車1台が当たり前の環境で育ち、いすみ鉄道も近くですが入社するまで乗ったことがありませんでした。そんな私がなぜいすみ鉄道転職を決意したかと言うと「可能性」を感じたからです。コロナ禍になり、在宅ワークが浸透し地方への移住者が増加してきたころ、房総でよく目にするのが「いすみ鉄道」でした。ある時、都心部や地方を渡り歩き、ふと感じたのが「生まれ育った故郷に何も貢献していない」と日々感じておりました。いすみ鉄道は、都心から近いローカル線で、日本の原風景が残るノスタルジックな場所です。前社長が残した旧国鉄型車両やいすみ鉄道オリジナルのかわいい黄色列車、タイムスリップしたような感覚になる駅舎。何よりも感じるのは沿線住民による「My Rail意識」です。はじめは列車に向かって手を振る姿が不思議でしたが、今では癖になっております。鉄道会社で感じるのはオフィシャル性の高さで、さまざまなタイアップが生まれるのも鉄道の魅力だと感じております。現社長が築き上げた支店長制度や古本事業のい鉄ブックスのようなコラボも沿線の枠を越えた感覚で楽しんでおります。ローカル鉄道であるいすみ鉄道は地元住民や移住者と地域活性化の架け橋を目指していると思います。鉄道経験の浅い私にできることは、営業経験を生かしたホスピタリティの追求と、地元地域を活かしたパイプ役だと感じております。営業に関わらず沢山の業務経験を積みながら「人を呼べる地域」「人を繋げる地元民」でいたいし、子の世代や孫の世代まで残せるローカル鉄道作りを目指していきます。
左から運輸課 松木さん、古竹社長、運輸課 玉尾さん、営業 吉田さん
このように3人に登場してもらった私のスタイルは、トップが旗振りするだけの形ではなく、沢山の人に力を借りながら、新たな風〈社員や地域の人や専門の人〉を巻き込み、鉄道事業の根底が覆される時代だからこそ、楽しくみんなで変わっていこうと思っています。そして個々がいすみ鉄道の顔になって外向き発信してくれることが何よりこの鉄道会社が存続できることに繋がると考えています。もちろん社長が決断しなくてはならないことは多々ありますが結果がどうあれ、それぞれの成果が私には最高に嬉しいのです。
私は現状、いすみ鉄道のミッションとして3つ掲げています。
1つ目は、鉄道の使命であり、まずは一時間に一本を死守することです。世代交代も含めて運転士不足にならないように人材育成の再構築することと接続する路線を保有しているJR東日本千葉支社及び小湊鐡道との関係を最重要視して房総横断鉄道と呼ばれるこの房総の鉄道を維持していくことです。
2つ目は、地域連携であり、鉄道会社として今までのように地域からの要望を待っている形ではなく、こちらから提案をして取り組む形を増やしていければと思っています。現在は、い鉄ブックスという古本事業を地域の皆様と連携して行ったり、「い鉄×○○コラボ」を増やしていきたいと思います。
3つ目は、観光庁等の中で取り組める形を模索したり、ローカル鉄道ならではの社会交通実験という形のアタックを考えています。とにかく利用者が少ないことを逆手に取れるような事業・実験を検討していくことも必要ではと思っています。また大学生以下からの依頼は基本断らないようにして、未来づくりの一助を一緒に考えていくスキームにも変えたいと思っています。8月末には、コロナ禍で始めた「い鉄甲子園」という近郊の鉄道研究会に集まってプレゼンをしてもらうことも継続してやっています。そして鉄道のもつ公共交通の「繋ぐ」「繋がっている」というキーワードをしっかりと見据えて邁進したいと思います。
これから日本全体が少子高齢化の誰も経験したことない世界へ突入しますが、全従業員と笑顔で駆け抜けていけるように若手をちゃんと成長させ残れる鉄道会社にしていきたいです。
2021年からイスミライという言葉を作りました。このロゴには人・人・人が関わっています。人に学び、人に育まれ、人に愛されてこれからも成長していきたいと思います。
9月8日台風13号の影響により、いすみ鉄道は全線で被災を受けました。被災カ所は10カ所で、5日後には大多喜~大原間が一部復旧しております。現在、全線復旧に向かって再始動し、年内完全復旧を目指しております。また、(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構にも協力を頂き、迅速な対応を心がけております。早期に報告出来るようにしたいと思います。